2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」は世界文化遺産に登録され、中でも青森県は8つの遺跡が世界遺産として認められました。
縄文人の暮らしがわかる遺跡が世界遺産として認められたことで、大いに注目が集まりました。
中でも三内丸山遺跡は中核を成すほど歴史的価値がある出土品や建造物跡などが見つかっており、世界遺産として登録されたことで、多くの人に縄文文化を体験してもらう絶好の機会です。
この記事では、三内丸山遺跡を中心に青森県8つの遺跡について紹介しますので、縄文文化にについて興味を持っていただけると幸いです。
三内丸山遺跡
2021年7月「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。青森県を代表する三内丸山遺跡は世界遺産には欠かせません。
三内丸山遺跡での調査は幾度か行われてきましたが、注目されるきっかけとなった出来事として、1992年から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年)の大規模な集落跡が見つかったことです。
当時のメディアに多く取り上げられ話題となり、青森の三内丸山遺跡は全国に知られることとなりました。
三内丸山遺跡は何がすごい?
三内丸山遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心的存在です。
その理由として縄文人が生活していた痕跡が世界最古であることを証明する出土品が見つかったからです。
出土品について以下のとおりにまとめました。
- 土器
- 石器
- 貴重な木製品
- 骨角製品etc…
静岡県の天宮遺跡や佐賀県の東名遺跡などで縄文人の生活がうかがえる土器や貝塚などが発見されていますが、三内丸山遺跡から出土されたものは他と比べ、縄文人の暮らしが判明できるサンプルが豊富という点です。
現在は復元されていますが、大型掘立柱建物跡は地面を掘って柱を建てた建造跡で、当時の縄文人の建築技術が垣間見えました。
縄文人は竪穴式住居に住んでいたことが調査で判明し、中央には炉があって暖を取っていたことがうかがえます。
また、他にも縄文時代の暮らしがうかがえる粘土採掘坑や貯蔵穴など生活跡が発見され、遺跡の重要性がどんどん増していきました。
青森県は三内丸山を1997年に史跡へと指定し、2000年11月には特別史跡へと指定しました。
ちなみに特別史跡とは文化庁の定義で後世に残すべき学術的価値が特に高く、文部科学大臣が指定した史跡のことで、2022年時点でわずか63件しかありません。
それだけ三内丸山遺跡が遺した歴史的遺産は計り知れず、ゆえに「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心的存在です。
三内丸山遺跡センター
三内丸山遺跡センターは、2019年に県総合運動公園の遺跡区域および埋蔵文化財センター縄文時遊館で構成される教育機関として設置されました。
設立の目的は、縄文文化を子どもから大人まで広く知ってもらうことです。
三内丸山遺跡センターでは出土された縄文時代の土器や土偶などを保存し、一部は展示コーナーにて常設展示を行っています。
展示物については常設員が解説業務を担当し、理解の促進に努めています。
三内丸山遺跡センターは広いので、どこに何があるのか観光目的で一度来訪しただけでは全容をつかみきれないほどです。
また、教育普及の一環として定期的に縄文文化の体感・体験イベントなどを実施しているので、イベントに参加したい人はホームページを確認しましょう。
三内丸山遺跡センターについて
れすとらん五千年の星
「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産の登録された三内丸山遺跡センターの敷地内に唯一営業しているレストランがあります。
「れすとらん五千年の星」は普通のレストランとは異なり、縄文時代に食べられていたとされる食材をメニューとして取り入れ、食を通じて縄文文化に触れてほしいとのことです。
老若男女問わず楽しんでいただけるレストランを目指しており、「発掘プレート」と呼ばれるユニークなメニューやインスタ映えしそうな縄文パフェなど、レストランのメニューが豊富です。
また団体様向けのメニューがあり、「縄文の四季」や「発掘ランチ」など三内丸山遺跡を団体で訪れた人に向けたニーズを確保しています。
期間限定メニューがありますので、三内丸山遺跡を訪れた際には来店してみてください。
小牧野遺跡
三内丸山遺跡と同じく青森市で発見された遺跡です。小牧野遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
紀元前2000年と推定され、標高140メートル付近に点在する縄文時代後期前半に作られた環状列石を主体とする遺跡です。
環状列石は縄文人の文化の象徴とされ、埋葬や祭祀・儀礼に深く関わるものです。
これまでの調査で発見された縄文人の暮らしをうかがわせるものは以下のとおりにまとめました。
- 3重構造の環状列石
- 竪穴式住居跡
- 土器棺墓
- 土坑墓群
- 貯蔵穴
- 遺物の捨て場
- 湧水遺構
- 道路跡etc…
また、縄文文化を知るうえで以下の出土品が発見されました。
- 土器
- 石器
- 土偶
- ミニチュア土器
- 動物形土製品
- 鐸形土製品
- 三角形岩版
- 円形岩版etc…
特に三角形岩版は400点以上も出土されたことから、祭祀などで人が多く集まる場所で使用された見込みが考えられます。
縄文人の暮らしがわかるサンプルが豊富に出土された小牧野遺跡は青森市が1995年に史跡として指定し、2001年には追加で指定しました。
余談ですが、小牧野遺跡には2か所の展望所があります。
天気に恵まれれば陸奥湾を目の当たりにでき、運が良ければ下北半島に一端を垣間見ることが可能です。
秋にはクルミやクリなどの木が自然の恵み(クリの実やクルミの実など)を与えてくれるので、昔の縄文人が自然の恵みを大切にしながら生活していたことがうかがえます。
縄文の学び舎・小牧野館
小牧野遺跡の近くに縄文の学び舎・小牧野館(青森市小牧野遺跡保護センター)があります。
かつての小学校を改修し、小牧野遺跡で出土されたものを展示する施設に生まれ変わりました。
内部について少し紹介すると、1階のエントランスホールに加え以下4つの展示室を設けています。
第1展示室 縄文人の暮らし…土器や石器などを展示
第2展示室 縄文人の祈りと願い…祭祀に関する道具・模型などを展示
第3展示室 よみがえる小牧野遺跡…市指定文化財を含む出土品および小牧野遺跡全体の模型などを展示
第4展示室 縄文土器の美…出土した土器を時代ごとに展示
こうして展示室を回ることで縄文文化に触れることが可能です。
また、縄文の学び舎・小牧野館では、車いすやおむつ交換台など子どもから障がい者まで幅広い方に利用してもらうために用意・設置されています。
二ツ森貝塚
青森県東部上北地方の七戸町で発見された遺跡です。二ツ森貝塚跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
竪穴建物跡や貯蔵穴がたくさん発見され、大規模な集落があったことが推定されます。
貝塚からはヤマトシジミやハマグリなどの貝類のほか、スズキやマダイなどの魚類も出土されました。
また発掘度合いから青森県で最大級の貝塚とされ、狩猟・採集・漁労などの生活実態を知るうえでとても重要です。
大森勝山遺跡
弘前市で発見された遺跡です。大森勝山遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
環状列石となっており、土器や石器、祭祀用である岩版・石剣などが出土されました。
山岳地帯に住んでいた縄文人の生業について解明の糸口となるので重要です。
亀ヶ岡石器時代遺跡
つがる市で発見された遺跡です。亀ヶ岡石器時代遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
土坑墓が多く発見され、玉などの副葬品が出土されました。
墓域は長期間にわたって構築されていることが判明し、祖先崇拝が継続的に行われていたことが示唆されます。
縄文人の祭祀・儀礼の在り方が解明の糸口となるので重要です。
大平山元遺跡
津軽半島の東、外ヶ浜町で発見された遺跡です。
大平山元遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
出土品の年代測定を実施したところ、紀元前16,000~13,000年頃のものである可能性が浮上しました。
時期的に旧石器時代から縄文時代へ移り変わる頃とされ、生活様式が変化する様子を示す重要な手がかりの1つと位置付けられています。
田小屋野貝塚
つがる市木造で発見された貝塚です。
田小屋野貝塚は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
貝塚とは一般的に縄文人を含めた古代人が食べた貝の殻の積もったものが貝塚と呼ばれ、それらが大量に発見されると遺跡と呼ばれることもあります。
ヤマトシジミの貝殻を中心にコイやサバなどの魚骨が堆積してできたとされ、紀元前6,000~4,000 年と推定されます。
また、集落跡には貝塚以外に竪穴建物や貯蔵穴などが発見され、縄文時代における内湾地域の生業や集落の様子を示すこともあってとても重要です。
是川石器時代遺跡
八戸市で発見された遺跡です。
是川石器時代遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうちの1つで世界遺産に登録されました。
小規模集落ながらも川沿いの近くで発見されたことから、水さらし場が見つかりました。
河川流域で縄文人がどのような暮らしを行っていたのか解明につながる重要な遺跡です。